トロント(カナダ)在住20年の筆者が、カナダ国内旅行やトロント市内を中心としたイベントで撮影した写真で綴るブログです。
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2015年7月28日火曜日

トロントからヨーロッパ旅(5) イギリス国立鉄道博物館



ヨーク駅から歩いて3分。イギリス国立鉄道博物館が今回の目的地です。



ヨーク駅のホームの表示に従って歩くと、ほんの数分で博物館の正面玄関に到着します。



入り口です。



開館時にはすでに行列ができていて、なかなかの人気。入場無料ですが寄付金を募っていて、私は公式パンフレットを買ってお釣りを寄付することにしました。

受付をすませると小さな展示スペースがあり、左に進と「Station Hall」、右に進むと別棟に「Great Hall」そして「Warehouse」と回ります。

イギリス鉄道初期の歴史


鉄道発祥の地イギリス。世界初の鉄道路線は、1825年に開業した「Stockton and Darlington Railway(S&DR) 」。石炭産業に湧くイギリス北東部の港湾都市Middlesbroughへの輸送が目的の鉄道でした。







蒸気機関車の設計は1800年の初めに始まっていて、博物館の最初の展示となる小型の蒸気機関車「WREN」は、炭鉱から石炭を運ぶ列車に使われていた初期のもの。当時の鉄道には問題が多く、実用までにはさらに様々な改良が必要でした。



実用として使われる蒸気機関車の基本設計を完成させたジョージ・スチーブンソン(George Stephenson)は、イギリス最北端ノーサンバーランド (Northumberland) の炭鉱で働く機関士の息子として生まれ、父から蒸気機関の技術を学びます。

蒸気機関の技術者として腕を上げたジョージは、S&DR線で蒸気機関車を走らせます。イギリス西部の港湾都市を結ぶ「Liverpool and Manchester Railway (L&MR)」の開業時(1830年)、改良したロケット号(Rocket)が時速40キロで40トンの貨物を運ぶことに成功すると、彼は「鉄道の父」の名声を手中にすることになります。

もともとレールは木製で、18世紀のイギリスでは「Slate waggon」など荷車を馬車で引くのが一般的でした。ただ従来の木製レールは重量のある蒸気機関車には向かず、磨耗しやすく曲げると折れやすい鋳鉄製に変えても問題は解決しませんでした。イギリスにおいて飛躍的に製鉄の技術が上がり、1857年になると強度に優れた鋼鉄製のレールが使用できるようになると、鉄道の実用性は大きく改善されます。







ロケット号のレプリカは「Great Hall」の奥に展示され、その近くの壁にはスチーブンソンの石像がフロア全体を見つめています。

カナダの鉄道との関係性


カナダ初の鉄道「Champlain and St. Lawrence Railroad」が営業を開始したのが1835年。L&MRのわずか5年後でした。カナダを走った蒸気機関車は、イギリスでスチーブンソンの息子ロバートが作り、カナダに輸入されました。この時期アメリカの技術者たちも盛んにスチーブンソンの鉄道技術を視察にでかけ、同じように蒸気機関車を輸入していました。

モントリオールのカナダ鉄道博物館には、この蒸気機関車「Dorchester」のレプリカが展示されています。イギリスに来て身近に鉄道発祥の歴史を垣間みると、スチーブンソンの鉄道技術が早い段階でカナダにもたらされていたことがわかります。アメリカもこの時期、ロバートの蒸気機関車を輸入し、イギリスの技術を使った鉄道建設が始められていました。

http://tokuhain.arukikata.co.jp/toronto/2015/05/4_2.html

ヨークで出会った鉄道狂時代の「鉄道王」と「鉄道の父」


鉄道技術が確立した1840年代のイギリスは、「鉄道狂時代」と呼ばれるほど空前の鉄道への投資と建設ブームに沸きます。その立役者となったのが、「イギリス鉄道王」と呼ばれたジョージ・ハドソン(George Hudson)です。彼はYorkshire州に生まれ、ヨークで得た資産を元手に鉄道投資で大儲けし、市長就任を足がかりに国政にも出る野心家でした。

イギリス北東部で鉄道建設に成功したスチーブンソンは、当時世界最大の都市とまで言われたロンドンまで鉄道を通す夢を持っていて、1834年にハドソンと出会うと、ビジネス・パートナーとなります。ハドソンは地元ヨークの発達のために鉄道を通したいと考えていて、1835年に設立された「York and North Midland Railway (Y&NMR) 」に出資をし、実現を推進するため議長にまで就任し路線の建設に力を尽くす一方で、スティーブンソンは技師として鉄道建設を指揮します。



ヨーク駅が完成したのが1877年。1840年にはロンドンへ通じる路線へのジャンクションが完成すると、近隣路線を経由して、初めてヨークとロンドンが鉄道でつながりました。







ヨーク駅にある古びた「YORK ZERO POST」の表示は、ここがイギリス北東部の鉄道の拠点であることを示しています。鉄道はどこの国でも建設→倒産→統廃合→国有化→民営化という運命をたどるようですが、イギリスも例に漏れず、Y&NMRはその後の経営難からNorth Eastern Railway (NER)に吸収合併されます。

一方ハドソンの晩年は、鉄道バブルが弾けるた1850年代になると、行っていた不透明な資金と株の操作で有罪となり資産を失うばかりでなく、繰り返し投獄されては友人たちに助けられるという最後を過ごしたと伝えられています。多くの資金と利権が絡む鉄道建設は、一筋縄では行かないのでしょう。

しかし、彼が作った路線は今でもロンドンのKing's Cross駅からEdinburgh Waverley駅をつなぐEast Coast Main Lineの中核部分を構成していて、私がヴァージン鉄道に乗ってきた路線は、スチーブンソンが完成を夢見、ハドソンによって作られたものだったということを考えると、感慨深いものがあります。

「Warehouse」展示


「鉄道狂時代」に乱立した大小様々な路線は、経営難から1923年に大手4社にまとめられますが、その後も経営改善が見られないことから1948年には国営化され「British Railways(イギリス国鉄)」が誕生します。さらに合理化が進められると、約50年後の1993年の鉄道法が制定されて分割民営化が行われますが、その後も列車事故などが起きるたびに経営問題が取りざたされ、現在に至っています。



展示場の一番奥にある「Warehouse」には、こうしたイギリスの鉄道で使われていた大量のグッズが、まるでアンティークショップのように展示されています。



まるで迷路のような場所を歩いていると、奥から「チン・チン!」という鈴の音が聞こえてくるので、その方向に歩いて行くと、「ゼロ・ゲージ(0 Gauge)」の鉄道模型を使ったポイント切り替えの実演が行われていました。





10メートルほどでしょうか。リタイアした鉄道関係者と思われる老紳士がきちっとした身なりで、なにやら真剣に模型電車の通過を見つめています。奥では案内係りの男性がポイント切り替えについて解説を加えていて、鉄道の安全がどのようにして守られているのか、そこにどれだけの多くの人の力が必要であるのかについて、静かに語られていたのが印象的でした。



この辺の身なりには、(おそらくボランティア活動として行っているのだろうと想像しますが)ヨークに住んでいる多くの鉄道マンには、鉄道発祥の地で関わってきた歴史と伝統、誇りというものがあるのだということを感じた瞬間です。



個人的な感想ですが、モントリオールのカナダの鉄道博物館「エキスポレール」は、世界最大をうたうイギリスのここに負けず劣らず、展示の内容においてはかなり頑張っています。もっと「エキスポレール」のことが知られると良い、と思うほどです。

ただ一点、やはりここは鉄道発祥の地なんだということを強く思わされるのが、このポイント切り替えの実演。おそらく週末のみかと思いますが、鉄道とそこに住む人々の関わりをこういう形で見せることができるというのが、まさに発祥の地であるゆえんなのだと感じ入りました。

「Station Hall」展示


先に一番奥の展示を紹介してしまいましたが、博物館最初の大きな展示は「Station Hall」。





正面の壁には、かつての駅のパネルやポスターなどが貼られています。



名前の通り、フロア全体が駅の設定になっていて、ホームに止まっている列車を外から見るという展示方法。一番手前右手には、歴代の女王をはじめとするロイヤル・ファミリーが国内を旅行する際に使った特別な仕様の蒸気機関車と客車が並んでいます。



ヴィクトリア女王のために作られた紋章の入った専用の蒸気機関車が、存在感を放っています。この列車は1860年代から1900年にかけてしばしば使われていたものです。



「214 GLADSTONE」は、1882年〜1891年にかけてLondon, Brighton & South Coast Railway(LBSCR)を走っていたもの。



ブルーリボンの「HONI SOIT QUI MAL Y PENSE」はイギリスの最高位「ガーター勲章」を示すもの。王族を乗せる列車としての威厳を示しています。

ヴィクトリア女王と言えば、その約63年にも及ぶ治世は大英帝国の最も繁栄した時代。イギリスは植民地政策を推し進め、世界の4分の一にも及ぶ領土拡大を果たしました。





贅を尽くした女王の乗る車両は、「コンパートメント車両(compartment coach)」と呼ばれる独立した個室車両。客車の脇に専用のドアがあり、そこから出入りするイギリス伝統のスタイルです。



中を覗くと、まるで高級ホテルのリビングルームのようです。

一方で庶民の旅について調べてみると、少し事情は違うようです。1800年代後半の客車は、今のような屋根付きのものは1等あるいは2等に乗れる富裕層のもので、3等以下は屋根なしで場合によっては座席もなく、混雑すると立っていたのだそうです。(BBCの以下のサイトに事情がわかる絵があります)

http://www.bbc.co.uk/schools/gcsebitesize/history/shp/britishsociety/railwaysrev2.shtml

世界で最初の国際博覧会「ロンドン万国博覧会」が行われたのが1851年。イギリスの実業家トーマス・クック(Thomas Cook)が鉄道を使った旅行代理店であるトーマス・クック・グループを起こし、庶民の娯楽として安価なツアー旅行を実現し、近代ツーリズムの創始者となったことは有名ですが、この万博に16万人を運んだというのですから驚きです。

「Great Hall」展示


アメリカで発達したのが「オープン・サルーン車両」で、中央に通路を作り、左右に座席があり、客車同士でも行き来ができるようになっています。有名なものとして、1864年に製造されたプルマン・カー(あるいはパレス・カー)と呼ばれる寝台車と食堂車がありますが、1867年には、食堂車も加え、ホテルなみのサービスを行う「プレジデント号」(President) を導入し、大人気を博しました。



奥の「Great Hall」展示フロアにはイギリスで使われていたプルマン式食堂車の展示がありました。





わりと早い段階で、裕福な層に喜ばれる客車が開発され、その代表格として女王様の乗る車両に、明らかにアメリカ型車両の影響が見られて、興味深いところです。上の写真は1913年にイギリスで使われていた1等プルマン式食堂車の「TOPAZ」と「LYDIA」。外からしかわかりませんが、美しく復元された車内は、木目調の豪華な内装になっています。

それにしても、最初の蒸気機関車が走ってから約50年ほどして女王や国王を乗せて国内を走り、ヨーロッパのみならず北米にまで輸出されるまでになった鉄道の発展は、目をみはるばかりです。



フロアでは、週末の時間になると中央にあるターンテーブルで、ちょっとしたイベントが行われます。



最後に、このフロアの目玉は蒸気機関車をいくつか。No.4468「マラード」は、モントリオールのエキスポレールに展示保存されているNo.4489 Dominion of Canadaと姉妹。やっと会えました。



蒸気機関車として世界最速を記録したことを記念するプレート。流線型のボディーから、1938年に時速203kmを出しています。



手前はNo. 6229 Duchess of Hamilton。実は、この流線型の美しいボディーを写真で見た時「これが蒸気機関車?」と本当に驚いて、ぜひこの目で見たいと思ったこともあって、このイギリス旅を思いついたといういきさつがあります。



製造は1938年。現役時代は、London Midland and Scottish Railway (LMS)で走っていました。



No.92220「EVENING STAR」。



イギリスで最後に製造された蒸気機関車であることを示すプレートが埋め込まれています。

このほか、ユーロスターや日本の新幹線の展示などもあり、鉄道ファンなら1日いても飽きないでしょう。私は3時間ほど過ごして目的を果たすことができたので、入り口のギフトショップを見てホテルに戻り、午後のヨーク街歩きにでかけたという、忙しい日程でした。