トロント(カナダ)在住20年の筆者が、カナダ国内旅行やトロント市内を中心としたイベントで撮影した写真で綴るブログです。
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2015年3月14日土曜日

自習カナダ史第8話:文化の話



紀元前3000年〜紀元前500年頃の「Post-Archaic 」時代のこと。人々の生活は、獲物を求めて狩猟を行う暮らしから、農作物を作る定住生活へと移行します。

南はメキシコ湾からアメリカ東部五大湖周辺を北限とする一帯には、「Woodland Culture」と呼ばれる文化的特徴のある遺跡が数々発見され、現在のオンタリオ州からケベック州、大西洋岸のマリタイム地方にまで至る一帯が、その影響下にありました。

最も栄えたのは紀元前2000年頃からの500年間で、現在のイリノイ州とオハイオ州のエリアを中心にオンタリオ湖北側のカナダでも遺跡が発見されている、「Hopewell tradition」と呼ばれる特徴的な葬儀の文化です。

Hopewellの文化的源流は、オハイオ州南西部の「Adena culture」という集団(紀元前3000年〜紀元前1800年頃)。彼らは鹿やエルク、ビーバー等を狩猟しつつ、カボチャなどを栽培して食べて暮らしていました。

「Mounds」と呼ばれる小高い山を作るのがその最大の特徴ですが、葬儀の際の日本の古墳のような役割を果たすものでした。彼らが作り出す銅や銀製のアートが墓からの出土品として発掘され、宗教的な行事に関わるものであると言われています。Hopewellの名前は、オハイオ州で発見されたMound群の土地の持ち主からきたものですが、現在はオハイオ州の史跡公園となっています。

Hopewell文化の中期になると、川を現代のハイウエイのように使い、多くの集団同士が交易を活発に行う「Trading route」が確立します。先住民の群れは小さく、それぞれが距離を置いて生活をしていましたが、「Hopewell exchange system」と呼ばれるネットワークは、農作物を中心とする食料品等の交易に加えて文化・情報の交換が行われ、結果的にそれぞれが孤立することなく大きなエリアとしてのまとまりを持って暮らしていました。

全部で15の文化的集団が確認されていますが、カナダでは以下の3つが発見されています。

Laurel Complex
ケベック州南部、オンタリオ州、マニトバ州中央部〜東部、ミシガン州北部、ウイスコンシン州北西部、ミネソタ州北部。
1615年に、シャンプランがHuron族に案内されてジョージア湾一帯を探検した時に通ったTrent–Severn Waterway(カナダ国定史跡)を常用していた民族は、カナダで最初に土器を作りました。

Point Peninsula Complex
オンタリオ湖のカナダ側北東岸に位置するPoint Peninsulaは、オハイオで栄えたHopewellと密接な関係を持っていたものの、時代的には紀元250年頃と考えられ、葬儀の文化は行われませんでした。

Saugeen Complex
ヒューロン湖南東岸からブルース半島、オンタリオ州ロンドン一帯からGrand riverまでのエリアに住む人々で、Odawa(Ottawa)族の起源と考えられています。

交易路があると考えられた根拠には、集団によって違う収穫作物や貴重品などが 離れた遺跡から発見されたため、そこには何らかのルートを通じてモノや文化(情報)を行き交わせるシステムがあったと推測されるからです。

調査の結果、「Trading route」は集団の長が集まり、少なくとも年一度契約を結ぶという方法で確認され、互いにルートを守る軍事的な契約も行っていたことがわかってきました。その際、彼らは貨幣を使わず、物同士を交換させることで交易を成立させていました。

一旦交易の旅に出ると、戻ってくるまでには数週間〜数カ月がかかったと言われます。集団ごとに方言を話していたため、例えば東部カナダで当時事実上共通語として使われていた「Wendat」語を話す通訳が同行し、 特別の「手形」を持った者だけが通行を許されました。

http://www.letrocdesidees.ca/en/commercial-network.php

こうした物と情報のネットワークが、比較的大きな地域に「Mounds」を作る葬儀の習慣を根付かせ、石器や土器の製作が上手になるといった技術の向上を生み、集団内では閉じた独自の文化を育みながら、交流をしながら文化的成熟を果たし、人口が増え、無数の集団が維持できる要因になりました。

「Woodland Culture」の末期になると、オハイオ州を中心にしたこの集団群は「Mississippian culture(アメリカではアパッチ族などの先祖となる)」へ合流し、さらに一部はアメリカ東部地域に住む Iroquois(イロコイ)へと分かれて行きます。このイロコイは後にオンタリオ湖南部にある6部族連合体に発展して行きます。

ヨーロッパからの探検隊が次々と北米を訪れるようになり、同時に18世紀以降、考古学者、言語学者や人類学者が北米へと向かい、先住民を含めた研究が進んで行きます。我々はその恩恵を受けて、より正確にカナダを含めた北米の歴史を学ぶことができている、ということなのですね。