トロント(カナダ)在住20年の筆者が、カナダ国内旅行やトロント市内を中心としたイベントで撮影した写真で綴るブログです。
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2015年2月26日木曜日

自習カナダ史第7話:言葉の話



1800年代に始まった、学問としての体系的な言語研究。ヨーロッパ人が北米大陸に渡ってくると同時に、北米先住民の言葉についての詳細な調査が行われ、北米に最初に住んでいた人類の言葉が解明されました。

言語学の父と呼ばれるスイス人のフェルディナン・ド・ソシュールは、1857年生まれ。構造主義を確立し、これまでの比較言語学によって考えだされた書き言葉の歴史を辿る通時言語学とは別に、話し言葉の音節構造を調べる共時言語学の発達に大きく寄与しました。

古代の人々のコミュニケーションは、「話し言葉」が中心でした。「口伝伝承」と呼ばれますが、伝説や昔話、教訓といったストーリーの中に込められた生きてゆくために知っておくべき知恵を、代々語り継ぐという習慣が根付いていました。ソシュールが「話し言葉」を調べる方法論を確立したことで、当時の北米先住民の言語研究が進みました。

話し言葉の調査は、言葉を話す民族が生きていることが絶対条件となります。少数民族が絶滅すると、言語と共に地球上から消えてなくなってしまうからです。結果的にヨーロッパ人が北米大陸にやってきたことで、絶滅してしまった民族も多かったのは、皮肉なことではあります。

最近のオタワ大学の研究によると、カナダに現存する先住民族の言葉は確認されているものだけ少なくとも65種類にのぼるとされています。言葉が数多く存在する原因の一つは、一つの元(もと)となる言葉は系列となる方言を生み出す特徴があったためです。

後に触れますが、カナダ東部で話されていたアルゴンキン語という言語があります。これには13方言の存在が確認されています。

方言同士の会話のために、必ず共通言語を話す通訳の役割を果たす人がいました。この際の共通言語は、そのエリア一帯で最も多くの集団が話している言葉、あるいは方言の元となっている言葉が選ばれたようです。

アメリカ言語学の父と呼ばれるフランツ・ボアズ(Franz Boas)は、ソシュールとほぼ同時代に生きた人類学者でした。彼はバフィン島のイヌイットが話す言葉を始めとするカナダ北部に住む人々に対する研究のパイオニアでした。ドイツからアメリカに移住した後1887年にニューヨークで市民権を得ると本格的な研究を始め、アメリカ人類学会の創立にも関わる目覚ましい働きを残します。

北米の先住民を研究する際に、彼は当時ヨーロッパを席巻していた進化論が権威主義的ものの考え方と結びつくことを嫌います。個々の集団における相互の影響と拡散の状態を色眼鏡なく見つめ、研究することが大切であるとしました。

文化の優劣を比較する傾向は、研究者自身が無意識的に自分の文化を基準にする所から始まります。研究対象となる人々の話す言葉や習慣、歴史を第一義とし、目指す人類学の目的とした姿勢を貫いたことは、当時としては画期的なことでした。

こうした方法論の確立があり、北アメリカに広がる最初の人類の多様な集団の姿が正しく分析され、研究されてきたというストーリーも見逃すことはできません。

先住民の文化を「話し言葉」を通して解明する研究が進み、現代においては彼らがどういう人たちだったのかを知る手がかりを得ることができるようになりました。

ここではかなり大胆に、4つの言語を柱として考えるという方法で整理してみたいと思います。

(1)Eskimo–Aleut語

アラスカ、カナダ、グリーンランドの北極海沿岸に広がる地域で話されている言葉です。
「Aleut」という言葉と、「Eskimo languages」があり、エスキモー語には「Yupik」「Inuit」語が含まれます。 世界中の他の言葉と比較すると、その言語学的特徴は際立っていて、北米のどの言葉とも違う構造をしていることから、ベーリング海を渡ったユーラシア大陸との結びつきが強いという説が立てられていますが、人口減少によって言葉自体が絶滅の危機にあり、究明が急がれています。

(2)Na-Dene語

カナダの北西から中央部(現在のアラスカからユーコン準州、ブリティッシュコロンビア州の北部、マニトバ州北西部)に広がって暮らしていた人々が話していた言葉です。
彼らはナバホやアパッチの先祖と言われていて、彼らの旅の出発点であるシベリアで話されている言葉と言語学的特徴が似ていることから、最初の人類が海を渡ってきたとされる根拠の一つに数えられています。

「Na-Dene」は、アラスカ南東部で話される Tlingit と アラスカ南部で話されていた Eyak(消滅)とブリティッシュコロンビア州の北部、マニトバ州北西部に住む集団によって話されていた Athabaskan という言語に分岐し方言を作り出します。

上記の2つの言葉は「Primary Language Family」と言って、世界の中でも早い段階で言語的な柱となる、年代が古い言葉の一つとして数えられているものです。

(3)Algic語

現在のカナダ中央部から大西洋岸に至る地域で話されていた言葉です。今から約7000年前にコロンビア大平原周辺に住む人々によって話されていた「Proto-Algic language」から分岐したことが言語学的特徴から証明されていて、集団が西から東に移動する過程で生まれたものだと考えられます。

「Algic」は「Algonquian family」という言語のまとまり(Proto-Algonquian、Plains Algonquian、Central Algonquian、Eastern Algonquian)へと分岐して行きます。

今から2500年ほど前、現在のオンタリオ州、ケベック州、ニューブランズウィック州一帯に暮らしていた「Algonquian languages(アルゴンキン語)」を話す人々。今から7000年前にコロンビア川台地(ワシントン州、オレゴン州、アイダホ州にまたがる地域)で話されていたAlgic languages(アルジック語)の方言で、アルゴンキン語を話す人々は、アルジック語を話す人々から分離独立したと考えられています。

アルゴンキン語を話す人々は、現在のカナダの大部分の地域で話されていた言葉であることがわかっています。

東部(Eastern Algonquian:DNAを共にする集団。マリタイムからノースカロライナまでの東部沿岸地域)、中央部(Central Algonquian:言葉を共にする集団。五大湖南部に住む)、平原部(Plains Algonquian:言葉を共にする集団。北アメリカの中西部、ロッキー山脈の東側の草原地帯Great Plainsに住む)に分かれています。

Anishinaabeというのは、アルゴンキン語から派生した「Anishinaabemowin-Anishinaabe languages」を話す民族グループの名前で、主に五大湖の周辺に住んでいました。

東はシムコ湖周辺にAlgonquin 族, Nipissing 族, オンタリオ湖畔からエリー湖北側を Missisaugas 族, ヒューロン湖を囲むエリアを Odawa 族, スペリオール湖一帯を Chippewa(Ojibwa) 族, さらに西を Oji-Cree 族, Chippewa 族, ミシガン湖の南は Potawatomi 族と、五大湖を取り囲むように住む言語で繋がる大きな集団でした。

(4)Iroquoian語

エリー湖とオンタリオ湖からセントローレンス川上流に至るカナダ東部では「Iroquoian languages」が使われていました。イロコイ(発音はˈɪrəkwɔɪ=イラクォイに近い)は、Woodland culture の時代に五大湖の南側に住んでいた人々が起源です。

彼らは大航海時代に最初にヨーロッパ人と出会ったことから、先住民の言語としては研究が進んでいるものの一つで、大きくは南と北に別れ、南は「Cherokee lauguage」、北は「Lakes Iroquoian」そして詳細不明なものとして「Laurentian」が存在していたことがわかっています。

イロコイが単一民族として存在していたのは、先住民の歴史ではごく初期のこと。その後5つの部族に発展し、植民地支配が始まった19世紀には、「イロコイ」という名前のもとに6つの部族が集まる連合体となりました。テリトリーは古代の氷河湖イロコイ湖(現在のオンタリオ湖の原型)南側エリアが古来からの支配地域。後に、湖をまたいでジョージア湾に至る北部一帯、湖の東側はセントローレンス川沿い一帯へと勢力を伸ばしていきます。

Wyandot(Wendat / Huron)族、15世紀にはオンタリオ湖畔北側に住み、現在のオンタリオ州ピッカリング市に大きな集落を作っていました。17世紀初頭になると彼らはジョージア湾へと移住し、そこでフランスから探検に来たシャンプランらに出会います。この時彼らは Wendat (あるいは Huron Confederacy)及び Tionontate と合流していました。Huron は4つ以上の民族が連合したもので、「Huron Confederacy(ヒューロン連合)」というネットワークを持ち、ヒューロン湖州一帯で幅広い交易を行っていました。その様子は、ケベック州の Wendake 博物館に展示されています。
http://tourismewendake.ca/

今日の写真は、昨年(2014年9月20日)に行われた、Fort Yorkの新ビジターセンターの開所式典に出席し、式辞と彼らの言葉で歌を披露した Elder Garry Sault 氏(Mississaugas of the New Credit First Nation)。彼はヒューロン湖からトロントの西ミシサウガ川一帯に住んでいるミシサウガ族の長老として、現在も一族を率いている代表です。

ここは1812年戦争におけるカナダの防衛線の要所として、最初に彼らが戦った場所でもあります。そうした歴史を踏まえて、晴れの日に代表として招待されたのです。この施設については、また機会を改めてご紹介することになると思います。