トロント(カナダ)在住20年の筆者が、カナダ国内旅行やトロント市内を中心としたイベントで撮影した写真で綴るブログです。
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2014年4月28日月曜日

東洋英和女学院と感謝の桜物語(3)


人でも組織でも、何かのきっかけで過去を振り返ることで発見される人間関係や物語に背中を押されて、再び歩き出す原動力を得ることがあるでしょう。今回「赤毛のアン」と村岡花子さんのことについて調べて行くうちに、東洋英和女学院(以下学院)を通して見えてくるカナダと日本のつながりに「幸せな歴史との出会い」という特別なものを感じています。


お話をお伺ったのは、学院本部棟の史料室。責任者の酒井ふみよ先生、前任で、現在は院長室・史料室係長の谷川裕子先生のお二人がお忙しい中対応をして下さったのですが、しばらくすると、たまたま会合に出席をしていた同窓会の会長さんも合流。あっという間に、妻も含めると4名の学院関係者に囲まれてしまいました。

話の中心は、この夏に計画されている「桜プロジェクト」のこと。学院の創立130周年を記念して行われる桜の苗木の植樹が、ハミルトン市が主催する公式行事と発展し、学院の創立者ゆかりの地の表敬訪問も含めたプログラムへと発展して行きました。
学院部外者の私にしてみれば、これだけ大きな出来事が起こるにしては「130年」は決してキリの良い年数とは思えず、自費で募る代表団がほぼ地球の反対側にある東部カナダにやってくるのか、たいへん不可解なことでした。


私の記憶によれば、2005年7月31日にも同じハミルトン市にある創設者が属していた教会で記念式典が行われています。日本からも学院の代表者を始め在校生、同窓生を含め実に多くの方々が出席した式典の目玉は、学院の創立者を記念する墓石をハミルトン市にある一族の墓地に寄贈するもので、ハンドベルの演奏や昼食会など盛りだくさんなプログラムが行われました。




念のためにパソコンを見てみると、妻の運転手としてついていった時に撮った写真が残っていました。この時から数えても9年という、これまたキリの良いとは言えない今年、再び同窓会は「桜プロジェクト」という形でカナダ訪問を計画しています。
http://www.toyoeiwa.ac.jp/dousoukai/sakura_project4.html

こうした私の素朴な疑問を率直にお話しているうちに、どうやら皆さんは「キリの良い年だから、何か記念になるイベントをしよう」というアイディアで物事をすすめているのではない、ということに気づきました。史料室の先生方が口を揃えてまず話されたのは、この「桜プロジェクト」は、今から5年前の2009年に学院創立125周年を記念して出版された「カナダ婦人宣教師物語」に端を発するという事実でした。
http://www.toyoeiwa.ac.jp/topics/20100301031405.html
https://www.toyoeiwa.ac.jp/kaihoushi/senkyoushi/book.html


「カナダ婦人宣教師物語」が出版された2009年という年は、日本にキリスト教の布教を目的とした宣教師と呼ばれる人々がやって来た1859年から数えて150周年という「記念の年」。「1000円になりますが・・・」と言われて卒業生の妻が購入したこの本には、学院の創立当時に活躍した婦人宣教師の来歴がまとめられています。ひと口に「来歴がまとめられています」と言うのは簡単ですが、実際は大変な作業であるということは、かつてこうした書物の編集に携わったことがある経験から容易に想像がつくことでした。

青山学院で長く教鞭を取られ、ご自身も宣教師として日本に滞在したJ.W.クランメル先生という方がおられます。彼はある時、日本で生涯を終えた宣教師が葬られている青山の外人墓地が荒れ果てていることに驚き、このことをきっかけとして、日本で忘れられてしまった宣教師に新たな光をあてた方です。彼がおこなった調査の成果は、1996年に刊行された「来日メソジスト宣教師事典」にまとめられました。現在は版元品切れになっていますが、当時はまとまった資料がなかった宣教師達の活動を知らせるものとして画期的な出版物と言われたのを覚えています。「そおいえばクランメル先生というかたがおられて・・・」という話をすると、史料室の酒井先生は「ご存知したか!」という顔をされうなずいておられたので、学院が出版した「カナダ婦人〜」でも、当時活躍していた宣教師の人となりの再発見に事典は大きな力を発揮したのでしょう。

今から20年以上前のことになりますが、大学院を半分終えて卒業した私は残りを終えるために海外へでかけることを考えていました。英語力が全くなかったためにクランメル先生が行っていた英語の授業に出席してみては、という縁で彼と直接話す機会がありました。ある年のクリスマスに、「これを・・・」と手渡されたのは、赤くて丸い形をした缶。両手で持つと「中に何が入っているのか?」と思うくらいずっしりとくるこの物体を紙袋に入れ家に帰り、缶のふたを開けると中から茶色くて赤や緑のブツブツがちりばめられている岩のかたまりのようなものがでてきて、相当びっくりした思い出があります。この間こちらのクラフトショーで見つけてあまりに懐かしくて思わず買ってしまったのですが、やっぱりビックリするくらい重かったです。
http://blog.makotophotography.ca/2011/11/blog-post_30.html


海外の暮らしを知らない当時の私は、この岩のかたまりのようなものがフルーツケーキであるということを缶のラベルを見て初めて知りました。ケーキと言えばショートケーキしか知らなかった私が、「アメリカではこんなにずっしりしたものを食べるのか」と、ずいぶん驚いた記憶があります。ショートケーキのように切って食べたら胃もたれがしたという話をしたら、史料室の先生方に「あれは薄く切って食べるのが美味しいのですよね」と言われるのを聞いて、やはり皆さんもご存知であったようです。

実は私自身、アメリカのことは知らないわけではありませんでした。今からもう30年以上も前のこと、お腹に10万円とパスポートをまきつけ、トロンボーンをかついでアンカレジ経由便でロスアンゼルス郊外で行われていたジャズフェスティバルに、所属していた大学のビッグバンドの一員と共に出演したことを懐かしく思い出します。その時この目で見たアメリカは大変印象的でしたが、それとは全く違う景色が、この宣教師が渡してくれたフルーツケーキからかいま見えたということなのです。

なんでこんな話を書いているかというと、宣教師と呼ばれる方々は物腰は柔らかでも厳格で、ズバリと物事の本質を射抜くところがあります。一方で存在そのものがまさに異文化の窓であって、出会いを通してふと垣間見える海外の風景は強く心に焼き付いているものです。それはたとえば、観光旅行で訪れる海外の街の風景や文化の印象とはまったく違ったものだったと考えるわけです。

その後偶然にカナダに渡ることになり、トロントに住みはじめた当時は、「一世」と呼ばれる第二次世界大戦前にカナダに渡った日本人の方々もまだまだ健在でした。今から20年近く前のことですが、当時彼らはすでに80歳を越えていて、今思えば最後に生き残った一世の方々と話していたことになります。彼らは、日本にいた宣教師と同じように開戦に伴い母国への帰国か残留の二者択一を迫られ、日本に戻らなかった彼らは財産を没収され、キャンプでの抑留生活を余儀なくされるという過酷な人生を強いられました。日本の敗戦後に抑留生活から開放された人々の中には、キャンプのあった西のブリティッシュ・コロンビア州を離れ、はるばるトロントまで移住の旅を行う家族も多かったわけです。
「着の身着のままやってきた私たちをトロントは暖かく迎えてくれた」と口々に話す彼らを受け入れたのは、多くが地元のキリスト教会や、ユダヤ人コミュニティーだったようです。学院の資料室の先生方のお話でも、カナダの先生方は日本語を理解していたため、カナダに対して日本と日本人について戦時中にも関わらずその本当の姿を説いていたのだそうです。

これも偶然ですが、私がトロントに来てまもなく紹介していただいた方の中に、史料室で手渡された「カナダ婦人〜」の英訳版を執筆された有賀誠一先生の名前を見つけて驚きました。彼は「ドイツ語が得意で、お話とフルートがとびきり上手なひと」と理解していたのですが、多彩な方だと感心するとともに「本当に世間は狭い」という感を強くしたわけです。



細かい話にはなりますが、今から何年か前のこと、妻がふと「学院がカナダに何か感謝の意を表したいのだけれど、何かいい案はないかしら」と口にしたことに対して、「トロントで言うと、一世の日本人がカナダに感謝を表す際に、東京都に頼んでハイパークに桜を送ったよね」と話したことを思い出します。日本で楓がカナダを代表する樹木であるように、海外で桜といえば日本を代表する樹木。現在もトロントで毎年美しく咲く桜の木は、1960年にトロントに住む一世の人々の願いを受けて東京都がトロント市に寄贈したもので、今も記念碑が残されています。

学院が刊行した「カナダ婦人〜」は、もっぱらキリスト教や宣教師という観点からカナダとのつながりを時系列的にまとめ、学院のルーツを明らかにするものです。トロントに住む私の目に映るのがあるとすれば、こうした人々の働きを後押しし、その廻りを幾重にも取り囲んでいた広くて大きなカナダに住む人々の姿です。その中には、遠い祖国を愛しながら、カナダでの暮らしを良しとした日本人、見ず知らずの日本で教育に携わり再び祖国に帰った人、あるいは再び祖国の地を踏むことなく日本で生涯を終えた人、さらにはその周りでそうした人々を支えた人々が数かぞえきれない程いたわけです。

同席された同窓会会長の松本幸恵さんのお話によると、現在ハミルトン市が作っている市民公園の中に円形に植えられる桜の苗木が、市民の憩いの場に花を添えるとのこと。「このことは私たちとしても大変嬉しいことです」と言われた背景には、「名も知られずに宣教師たちを支えた多くの市民の心に届くような何かを」という思いが、市民公園という誰でもが訪れることができる場所への桜の苗木の植樹という形で実ったという思いがあるのでしょう。

ハミルトン市は石川県加賀市と広島県福山市と姉妹都市関係にあり、日本という国にも馴染みがある街です。今回はさらに、植樹される桜の苗木の由来が記されたカナダと日本の友好のあかしとなるプレートも置かれ、まさに「幸せな歴史との出会い」の物語がこれから長く語り伝えられて行くことになります。

東洋英和女学院(以下学院)の機関誌「楓園」第59号に、「大いなる物語は未来に向かって進んでいる」という言葉が記されています。これは、「カナダ婦人〜」の編集委員であり小学部部長の山本香織先生のことばですが、この際新たな桜の物語の目撃者になるべく、カナダでこの物語の一部になってみるというのも、思い出になるかもしれませんね。。
https://www.toyoeiwa.ac.jp/kaihoushi/059/book.html


2014年4月27日現在、卒業生限定で学院が主催するツアーの募集は続いているようです。詳細は下記をご覧下さい。
http://www.toyoeiwa.ac.jp/dousoukai/

さて、次回は再びプリンスエドワード島の話題に戻ります。